現代のエスクリマドールの感覚からすると信じられないことですが、昔のエスクリマドールは誰もが神秘的な力を信じており、それをアーニスの練習や戦いに活かしていました。
今回は、昔のエスクリマドールが信じた神秘的力の源であるオラションとアンティン・アンティンについて書いてみます。
オラションとアンティン・アンティン
現代のエスクリマドールに「オラションやアンティン・アンティンの力を信じるか?」と尋ねれば、ほとんどの者は「信じない。」と答えるでしょう。というより、オラションやアンティン・アンティンが何なのかを知る者も少ないでしょう。
簡単にいうと、オラションは呪文であり、アンティン・アンティンはお守りのことです。これらはアニミズムとカトリシズムが融合した、フィリピン独特の信仰に由来するものですが、古い時代のエスクリマドールの多くは、オラションを唱え、アンティン・アンティンを身につけることで、これらの持つ超自然的な力を利用して自分の身を守ったり、相手を攻撃したりしたのでした。
オラションは、不思議な力を持つフレーズや文章であり、文章が意味をなすものもあれば、意味をなさないものもあり、口に出して唱えるものもあれば、心の中で唱えるものもありました。心の中で唱えるものは、心に生まれた力を自分の目を通して相手に向けて発したそうです。また、自分の体に刺青で呪文を彫り込んだり、自分の武器に呪文を彫り込んだりすることもありました。
オラションは、エスクリマドールに限らず、新婚夫婦が幸せな結婚生活を祈ったり、農民が豊作を祈ったりと、一般の人びとにも唱えられていましたが、一般的なオラションは「リブリトス」と呼べれる冊子に載っており、戦いに関するものでは、刀を鋭くするオラションや、奇襲攻撃に対抗するオラション、相手の武器を取り上げるオラション、相手の武器を破壊するオラション、相手の心を乱すオラションなど、さまざまなオラションがありました。
また、オラションに対するカウンターもあり、相手に斬られないオラションを持つものには、刀をご飯でこすることで、そのオラションを封じることができたそうです。
これらのオラションは、親から子へ、師から弟子へと伝えられるものであり、オラションの保持者が死の床で後継者を指名して伝えるのが普通でしたが、後継者がいない場合は、そのオラションが書かれた紙を細かくちぎって、サンポラド(チョコレートと牛乳と砂糖を混ぜたおかゆ)に混ぜて食べました。こうすることでオラションにあるアニト(魂)が自由になったそうです。
これに対してアンティン・アンティンは、身につけているだけでオラションを唱えるのと同じ効果があるお守りでしたが、その形式は、動物の体から見つかった石であったり、ヘビの牙であったり、ワニの歯であったり、雄鶏の爪だったりといろいろな形態がありました。
石や動物の体の一部のような自然のものはそのままアンティン・アンティンとして使えましたが、ネックレスや、ベスト、ターバン、十字架が描かれた紙のような、人が作ったものはそのままでは使えず、教会のミサなどで定期的に清められる必要がありました。清めには時間(6時、9時、12時、15時、18時)や曜日(木曜日、金曜日、第1週目の金曜日、聖金曜日)が決められていましたが、特に聖金曜日が好まれたそうです。
アンティン・アンティンには、オラションと同じく、敵の攻撃を知らせたり、敵から自分を見えなくさせたり、敵の心を弱らせたり、自分の体を刀に斬られなくしたり、弾丸や矢が自分をそれるようにしたり、敵のアンティン・アンティンを無効にしたりと、さまざまな効力があったようです。
また、親から子へ、師から弟子へと継承されるのも、オラションと同じでしたが、どこかで購入したものは、教会で清める必要がありました。
エスクリマドールとオラション
なぜエスクリマドールがオラションやアンティン・アンティンの力に頼ったのかについて、”Cebuano Eskrima” の著者、ネッド・ネパンギは、「彼らは実用主義者であり、寝ているときや病気のとき、年を取ったときに物理的な攻撃に対して脆弱になることを知っている。」、「エスクリマでは物理的な戦略や技術しか得られず、物理を超えた能力を得ることで、予期せぬ攻撃から身を守ることができる。」と述べ、「同じ能力を持つエスクリマドール同士が戦ったとき、アンティン・アンティンを持っていた方が有利になる。」ことを指摘しています。
1904年にバンタヤン島で生まれた、アントニオ・イラストリシモは、胸にオラションの刺青を入れていた、オラションの力を強く信じるエスクリマドールでした。また、アントニオのおじで1920年代にアメリカに渡った、レヒノ・イラストリシモも脚にラテン語で書かれたオラションの刺青を入れていたエスクリマドールでした。
レヒノは故郷のバンタヤン島で兄たちからアーニスを学びましたが、技術が進歩すると、その兄たちによってオラションの刺青を入れられたそうです。このことからバンタヤン島では、オラションやアンティン・アンティンはアーニスの練習における通過儀礼であり、アーニスに不可分の文化であったことがわかります。
同じくバンタヤン島出身でアントニオの甥のフローロ・ビリャブリェについては、オラションをどこに彫り込んだかなど具体的なことはわかっていませんが、彼の弟子のベン・ラーグサが創始したビリャブリェ・ラークサ・カリでは、現代のアーニスでは失われてしまったオラションなどの精神的トレーニングもカリキュラムに取り入れていることから、フローロもオラションやアンティン・アンティンの力を強く信じるエスクリマドールであったことに間違いはないでしょう。
昔のエスクリマドールにとって、オラションやアンティン・アンティンは、武器の操作と同じくアーニスの技術のひとつであり、アーニスとは切り離すことのできないものでした。
神秘主義の現在
1980年代後半、ラメコ ・エスクリマの創始者、エドガー・スリティは “Masters of Kali Arnis & Eskrima” の取材でドセ・パレスを訪れ、総裁のヨーリン・カニエテにインタビューをしています。ヨーリンは、1920年のラバンゴン・フェンシング・クラブの創設メンバーであり、1932年のドセ・パレスの創設から1988年に亡くなるまで総裁を務めた旧世代のエスクリマドールでした。
スリティが「グランドマスター、あなたはオラションを信じますか?」と問うと、ヨーリンは「私はかっては信じていた。1911年、私はメスティーソ(スペイン人とフィリピン人の混血)のエスクリマのマスターに会った。彼は目が落ちくぼんでいて、長髪で、常にオラションを唱えていた。彼を一目見ると誰もが恐怖を植えつけられた。」、「しかし、最近オラションに対する考えを改めた。過去6回のトーナメントで、我々はオラションを唱える相手と戦った。我々はオラションを唱えなかったが、やすやすと彼らを打ち破った。トレーニングや技術に頼るほうがずっといい。オラションは自信をあたえてくれるが、勝つためには技術を磨くべきだ。」と語っています。時代が進んで合理的な考えが広まることで、オラションやアンティン・アンティンの力を信じるものがいなくなっていく様子がよくわかります。
そんな合理的な考えを持つドセ・パレスでアーニスを学んでいた2013年、私はバンタヤン島で、フローロ・ビリャブリェのいとこのロット・ビリャブリェから、アントニオ・イラストリシモや、レヒノ・イラストリシモ、フローロ・ビリャブリェが学んだ、島に伝わるギヌンティン・エスクリマを学ぶ機会を得ました。
ロットの指導法は「こう打ってこい。」、「そうきたら、こう返す。」、「じゃあ真似してみろ。」、「じゃあ次はこう打ってこい。」といった感じで、技についての論理的な説明はなく、技術は体系化されておらず、その場の思いつで教えているといった感じのものでした。
実は、アントニオやフローロもこのような指導をしており、これでは次の世代に教えられないことから、アントニオの場合は弟子のトニー・ディエゴやトーファー・リケットが、フローロの場合は弟子のベン・ラーグサが、師の技を分解し組み立て直すことで、イラストリシモ・エスクリマやビリャブリェ・ラーグサ・カリのシステムを作り上げたのでした。
ロットからは3日間教えを受けましたが、指導法が昔ながらのため、ギヌンティン・エスクリマがどのような原理で、どのようなストライクやどのようなフットワークがあるかなど、まったく理解できませんでした、しかし、21世紀のセブに、20世紀初頭の古いスタイルのアーニスが、まったく形を変えることなく残っており、それを実際に学べたことは貴重な経験となりました。
3日間の指導が終わると、ロットは私にオラションを授けてくれました。セブ本島では、この100年間にドセ・パレスを中心にアーニスの技術や指導法が大きく進化し、オラションなどはアーニスとは無関係のものとなってしまいましたが、このセブの離島では、アーニスに関してはまるで時間が止まっているかのようでした。
このオラションは、アントニオやレヒノ、フローロの唱えたのと同じオラションなのでしょうか。だとしたらとても貴重なものを授けられたことになりますが、唱えるとどんな効果があるのでしょうか。いずれにせよ次世代に伝えていくことはないので、いずれサンポラドに混ぜて食べることになるでしょう。
参考資料
- Wiley M. V. (1997). Filipino Martial Culture. VT. Tuttle Publishing.
- Nepangue, N. R. (2007). Cebuano Eskrima: Beyond the Myth. IN. Xlibris Corporation.
- Wiley M. V. (2001). Arnis: Reflections on the History and Development of Filipino Martial Arts. VT. Tuttle Publishing.
- Inosanto, D. & Johnson, G. (1980). The Filipino Martial Arts. CA: Know Now Publications.
- Sulite, E. G. (1993) Masters of Arnis Kali and Eskrima. Manila. Bakbakan International.
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