「アーニス」はどこから来たか?(2)

アーニスの文化
世界初のアーニスの教本の表紙。アーニスはエスパダ・イ・ダガを意味した。

前回の記事では「アルネス」が武器を意味する古スペイン語であることを検証しました。今回はそのアルネスがどのような武術であったのか、そしてアーニスの語源となったと言われているアーニス・デ・マノの由来や意味についても探っていきます。

アルネスはどのような武術だったのか

フランシスコ・バルタザールの “Florente at Laura” は、「アルネス」という言葉が初めて文学のなかで使われた作品ですが、そこにはそのアルネスがどのような武術であったかがわかる場面があります。

それは主人公のアラディンがライオンと戦う場面で、そこには「左手で相手の攻撃をパリ―し、右手でとどめの一撃を加えると、荒れ狂うライオンは意識を失い、すぐに死骸となった。」とアラディンが左右の手に武器を持って戦う様子が描写されています。

バルタザールの “Florente at Laura” をスペイン語に訳した、フィィリピン人の歴史家でジャーナリストのエピファニオ・デ・ロス・サントスは、1916年に “ensayo critico(批評的エッセイ)” においてバルタザールの詩のなかで使われているアルネスについて、「アルネスという言葉はフェンシングの代わりとして使用されているもので、主にエスパダ・イ・ダガを意味する。甲冑でもハンドガードでもハンティング・ツールでもない。」と書いています。

ここから分かることは、16世紀初頭のフランシスコ・サントス・デ・ラ・パスやフランシスコ・ロレンズ・デ・ラダの時代から19世紀半ばのバルタザールの時代まで、アルネスという言葉は両手に武器を持って戦うアルネス・ドブレ、つまりエスパダ・イ・ダガを意味したということです。

フィリピン武術研究家のアンドレア・ロロが、フィリピン各地伝わる260以上のアーニスの流派を調査したところ、ほとんどの流派のルーツがエスパダ・イ・ダガであったことが分かりました。また2009年にラピド・ジャーナルに掲載されたジェームス・シー・ジュニアの「ネグロスにおけるフィリピン武術の進化」によると、ネグロス島やパナイ島につたわる古い流派のアーニスのほとんどがエスパダ・イ・ダガをベースとするものか、それから派生したものだったそうです。

このことを考えれば、世界で最初に出版されたアーニスの教本 “Mga Karunungan sa larong arnis” がエスパダ・イ・ダガの教本であったのも当然なことと言えます。

スペイン剣術の名残を残す流派、イラストリシモ・エスクリマのエスパダ・イ・ダガ。

私が個人的に学んだ、バンタヤン島に伝わる古い流派であるギヌンティン・エスクリマや、古い技術を伝えるイラストリシモ・エスクリマも最初に学ぶ技術はエスパダ・イ・ダガでした。また、今では最新のスタイルを伝えるドセ・パレスでも、創設メンバーのひとりであるカコイ・カニエテによれば、戦前までは練習のほとんどがエスパダ・イ・ダガだったそうです。

アーニスの語源は古スペイン語で武器を意味する「アルネス」であり、それはスペイン剣術の「アルネセス」、つまりエスパダ・イ・ダガのことでした。そして戦前まではアーニスとはエスパダ・イ・ダガのことであり、エスパダ・イ・ダガこそがアーニスのアイデンティティだったのでした。

アーニス・デ・マノの意味

それでは、一般的にアーニスの語源と言われている「アーニス・デ・マノ」という言葉はどこから来たのでしょうか。

1969年に出版されたドン・ドレガーの “Comprehensive Asian Fighting Arts” には「この用語(アーニス)はスペイン語の『アルネス』から来たもので、これはモロモロの俳優が身に付ける飾り、またはハーネスを意味し、『マノ』は手を意味する。」、「飾りを巻き付けた、俳優の手の動きが、征服した原住民にもてなされているスペイン人の主人を感動させた。」ために名付けられてと書かれています。

「アーニス=衣装の飾り」説では、モロモロの戦闘シーンを観た観客が、俳優が飾りを付けた手を巧みに使って相手と戦う様子に感銘を受けたことで、「手の飾り」を意味するアーニス・デ・マノが武術の名称になったことになっています。

2001年にマーク・ワイリーが出版した “Arnis” のなかのペドロ・レイエスの論文 “The Filipino Martial Tradithon” には「それ(アルネス)は中世ヨーロッパの騎士が着ていた、金属の輪や鎖、金属片をつないでできた柔軟な鎧を意味した。」、「アーニス・デ・マノは文字通り『手の甲冑』を意味し、エスクリマドールの手を使った防衛の技術の高さが、まるで甲冑を付けているかのようであることを言ったものである。」と書かれています。

「アーニス=甲冑」説では、モロモロの戦闘シーンを観た観客が、俳優が手を使って相手の攻撃を防御する技術の高さに感銘を受けたことで、「手の甲冑」を意味するアーニス・デ・マノが武術の名称になったことになっています。

しかし、前回の記事で検証したようにアルネスは武器を意味する古スペイン語なので、アーニス・デ・マノは「手の飾り」でも「手の甲冑」でもなく、正しくは「手の武器」を意味します。

アルマス・デ・マノ=アルネス・デ・マノ

1972年に出版された “The Philippines Quarterly” の記事 “Arnis” のなかでベンジャミン・アフアンは、「長い発展の過程でアーニスはさまざまな名前で呼ばれてきた。例えばあるときはアーニス・デ・マノと呼ばれ、別のときはアルマス・デ・マノと呼ばれた。」と書いています。

そしてこの「アルマス・デ・マノ」については、マーク・ワイリーも1997年に出版した “The Filipino Martial Culture” の巻末にある「別表1」で、フィリピンの武器術の総称の一つとして挙げています。また同署の巻末の「用語集」にも「スペイン語:手で操作する甲冑または武器。フィリピンの武器術の練習を表す古い名称。」と書いてあります。

アマラ・アルカニスはスペイン軍傭兵の供給地であったパンパンガにルーツを持つ流派。

また、ルエル・レド・ジュニアが創始したアマラ・アルカニスのマスター、エマニエル・ケルビンは、”FMA Digest Special Edition 2009″ の記事 “Amara Arkanis: The Fighting Art of the Mandirigma” で「自分の身を守るため、フィリピン人は身近にあるさまざまな道具を利用した攻撃と防御の技術を開発し、スペイン人がアルマス・デ・マノと呼ぶ武術を発展させた。それは後に土着化してアーニス・デ・マノと呼ばれるようになった。」と書いています。

これらのことから、アーニス・デ・マノはかってアルマス・デ・マノとも呼ばれ、それは手で操作する武器であり、武術の名称でもあったことが分かります。

アルマスはスペイン語で「武器」を意味する “arma” の複数形なのでアルネスと同じ意味であり、発音や表記も似ていることから、フィリピン人は両者を区別せずに使ったのだたと思われます。

実際、フィリピン武術研究家のアンドレア・ロロは “New Insights into the History of Filipino Martial Arts” で「アーニスとアルマスは、それゆえに、あいまいに使われた。」と書いています。またフィリピン大学の人類学者でエスクリマドールのフェリペ・ホカノも ドキュメンタリー “The Bladed Hand” のなかでアルマスが長年使われるうちにアーニスになったことを語っています。

アルマス・デ・マノとは何か

それではアルマス・デ・マノは具体的に何を意味したのでしょうか。「アルネス=甲冑」説を主張する人びとは、アルニス・デ・マノを「手の甲冑」と訳し、手を使った防御の技術が甲冑のように堅固だったことから名付けられたと主張しています。

それではアルマス・デ・マノは、手を使った攻撃の技術が武器のようだったから名付けられたのでしょうか。実は、アルマス・デ・マノの正しい訳は「手の武器」ではなく「手元にある武器」、つまり「携帯用武器」です。現代スペイン語ではアルマス・デ・マノは「サイドアーム」と訳され、インターネットで検索すれば拳銃の画像が出てきます。

中世のアルマス・デ・マノ(携帯用武器)。アルマス・ブランカス(白刃)とも呼ばれた。

サイドアームはwikipedia(英語版)によると「側部に保持され、必要に応じてすぐに取り出せる個人用武器である。サイドアームは単独で携帯することも、より頻繁に使用される主武器の補助武器として携帯することもできる。この用語は歴史的には、鞘に入れて側部に保持する剣、短剣、および同様の小型近接武器を指し、」とあります。

またスペインの考古学サイト “SARDEGNA Virtual Archaeolegy” には、”Las armas de mano” の項目があり、そこでは「中世の騎士の象徴」である剣の歴史が説明がされています。

カスティーリャ州ビソ・デル・マルケスにあるスペイン海軍国立公文書館には、1813年に作成された軍事文書が保管されており、その文書には以下のような武器のリストが含まれています。

Armas de mano de chipas y blancas(フリントロック銃とブレードのサイドアーム)
 Fuciles con sus bayotetas(銃剣付きライフル)
 Pistolas(ピストル)
 Espadas(刀)
 Chuzos(刺突用武器)

これはマニラからミンドロ島にモロの海賊の討伐に向かう、小型船サン・ラファエル号の装備品のリストですが、このことからモロの討伐に参加するフィリピン人兵士にとってアルマス・デ・マノという言葉は馴染のある言葉であったことが分かります。

スペインの民族学者で人類学者のフランシスコ・デ・ラス・バラス・デ・アルゴンは、1927年に出版した “Notas para un Curso de Antropologia(人類学コースのメモ )” で「武器についていえば、それらは攻撃的武器と防御的武器に分けられる。前者にはまず、先端が尖っていたり、刃が付いていたり、または両方を備えた、手で扱う剣術用の武器(armas de mano de o de esgrima)があり、また未開人が一般に使うスティックのような、尖っておらず刃のない、力強い武器(armas contundentes)もある。」と書いています。

以上のことから、アルマス・デ・マノとは携帯用の武器のことであり、民間人には剣術で使う武器を意味しました。また、軍隊ではライフルやピストルと区別して、アルマス・ブランカス(白刃)やエスパダス(剣)などと呼ばれていたことも上記の海軍文書から分かります。

アルマス・デ・マノという言葉は、おそらく軍務経験のあるフィリピン人によって広められた言葉だと思われます。宣教師によって民間に伝えられたアルネスと意味が同じであり発音も似ていたため、しだいに使い分けがあいまいになり、最終的にアーニス・デ・マノという呼び名が定着したのだと思われます。

そしてそのアーニスは、バルタザールが詩を作った1830年代にはエスパダ・イ・ダガを表す言葉としてに世間に広まっており、それは太平洋戦争後にアーニスの武器がシングル・スティック中心になるまで続きました。

参考資料

  1. Pollo, Andrea. (2022). New Insights into the History of Filipino Martial Arts. Academia. URL:https://www.academia.edu/80474180/NEW_INSIGHTS_INTO_THE_HISTORY_OF_THE_FILIPINO_MARTIAL_ARTS.
  2. Draeger, D. F. (1981). Comprehensive Asian Fighting Arts. Tokyo, Japan. Kodansha.
  3. Wiley M. V. (2001). Arnis: Reflections on the History and Development of Filipino Martial Arts. MA. Tuttle Publishing.
  4. Wiley M. V. (1997). Filipino Martial Culture. MA. Tuttle Publishing.
  5. Querubin, Emmanuel ES. (2009). Amara Arkanis Filipino Fighting Art of the Mandirigma. FMA Digest Special Edition 2009. URL:https://www.usadojo.com/wp-content/uploads/2017/02/FMA-Special-Edition_Sword-Stick-Society.pdf.
  6. Ignacio, Jay. (2012). The Bladed Hand, The documentary on the Global Impact of the Filipino Martial Arts. Olisi Films.
  7. Sidearm (weapon)“『フリー百科事典 ウィキペディア英語語版』。2024年9月10日21時 (日本時間) 、URL:https://en.wikipedia.org/wiki/Sidearm_(weapon).
  8. “Las armas de mano Fichas detalladas ” SARDEGNA Virtual Archaeolegy. URL:https://virtualarchaeology.sardegnacultura.it/index.php/es/yacimientos-arqueologicos/eta-medievale/monreale/fichas-detalladas/875-le-armi-a-mano.

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