カリは海を越えてやって来た?

オスロブの海 「カリ」についての考察
オスロブ教会から望むセブの海

アーニスの歴史において、「フィリピン古来の武術」や「スペインによる武術禁止令」とともによく語られる話に「カリ」は海の向こうのシュリービジャヤ王国や、マジャパイト王国、ボルネオ島などからやって来たという話があります。今回はこの話について検証してみます。

シュリービジャヤ・マジャパイト説

2010年に公開されたドキュメンタリー “Eskrimadors” では、アーニスのルーツについて、「セブのエスクリマの歴史は13世紀に始まる。」「東南アジアでもっとも勢力のあったシュリービジャヤ帝国は、マジャパイト帝国に占領され、(住民は)北のフィリピンに逃れた。」「シュリービジャヤの難民はフィリピン中部、現在のビサヤ地方に定住した。」と、そのルーツがスマトラ島のシュリービジャヤ王国にあると語られています。

この説は、「アーニスのルーツはシュリービジャヤ王国やマジャパイト王国にある。」という「シュリービジャヤ、マジャパイト説」のバリエーションのひとつですが、この説を最初に広めたのも、やはりダン・イノサントだと思われます。

イノサントは1980年に出版した “The Filipino Martial Arts” のなかで、シュリービジャヤとマジャパイトについて以下のように述べています。

シュリービジャヤ

  • 5世紀ごろ、スマトラ島に出現したシュリービジャヤ帝国は、多くの島々を植民地化して、アジア、太平洋地域に影響力を及ぼした。
  • シュリービジャヤは、ボルネオを植民地化したのち、フィリピンに侵攻して、フィリピン全土を支配した。
  • シュリービジャヤは、軍事技術や農業、漁業だけでなく、法律、文字、暦、宗教、度量衡などの先進文明をフィリピン伝えた。
  • シュリービジャヤ人は、中部フィリピンのビサヤ人となった。

マジャパイト

  • 12世紀にジャワにマジャパイト帝国が出現した。
  • マジャパイトは、シュリービジャヤを滅ぼしその領土を受け継いだ。
  • マジャパイトは、フィリピンにイスラム教を広めた。
  • マジャパイト人は、フィリピン南部に多く住みつき、彼らがのちにモロになった。

上の記述からわかる通り、イノサントはシュリービジャヤやマジャパイトに武術があり、それがフィリピンに伝わったという具体的なことは書いていません。「マジャパイトの武術『カリ』がフィリピンに伝わって『アーニス』や『エスクリマ』になった。」という具体的な話は、イノサントの弟子たちが作った話だと以前のブログで書きましたが、この話もシュリービジャヤ、マジャパイト説のバリエーションのひとつです。

シュリービジャヤ、マジャパイト説の検証

イノサントがこの説を記した背景には、アメリカの人類学者、ヘンリー・ベイヤーが1921年に「ビサヤ人は、シュリービジャヤ人の末裔だ」と主張したことがあると思われます。

ベイヤーは、フィリピンにはネグリト、インドネシア人、マレーシアの3人種が、時代ごとに波のように移住したという波状移住説を唱えており、イノサントもこれを信じたのでしょう。しかし、実際にはこのベイヤーの説を裏付ける人類学的、考古学的証拠はまったく存在しないため、現在この説を受け入れる人類学者はひとりもいない状況です。

また、イノサントが述べたような、「シュリービジャヤがフィリピンを支配した」とか、「マジャパイトがフィリピンを支配した」という歴史的事実も存在しません。

フィリピン大学の人類学者、フェリペ・ランダ・ホカノによると、これらの国とフィリピンには交易関係があり、文化的な影響は受けたものの、それはヒンズー教の彫刻がフィリピン各地で発見される程度のものだそうです。

また、シュリービジャヤ人がビサヤ人になったという話ですが、14世紀にそのような民族の大移動があったという記録は、どの歴史書にも書かれていません。

サンカルロス大学の人類学者、ホベルス・ベルサレスは、”Cebu Daily News” のコラム “Persistence of the Sri Vishaya hoax” のなかで、シュリービジャヤは石造文化だったのにもかかわらず、スペイン人到来時のフィリピンには、石像も石造の建造物もなかったことを述べ、ビサヤ人がシュリービジャヤ人の末裔だという話をばかげた作り話だと断言しています。

「交易関係しかなかったので、武術は伝わっていない。」とはいえませんが、「伝わっている。」ともいえません。少なくともシュリービジャヤ人がビサヤ人になったという話や、シュリービジャヤやマジャパイトがフィリピンを支配したというのは事実ではありません。

さらに検証を加えると、シュリービジャヤ王国の成立は7世紀後半であり、マジャパイト王国の成立は13世紀末です。このことからもわかるように、イノサントの東南アジア史の知識は極めて貧弱なのですが、この誤った知識が検証されることなく後の武術家たちに引き継がれてしまったため、アーニスについての誤った知識が世界中に広まってしまいました。

ボソアンは実在したのか?

シュリービジャヤマジャパイト説と並んで語られる説に、ボソアン説があります。この説は、ボルネオのスルタン、マカトゥナウの圧政に、苦しむダヤク族の10人のダトゥ(首長)が、ボルネオからパナイ島に逃れた話から始まります。

パナイ島に到着すると、ダトゥたちのリーダーであるダトゥ、プティは、地元のアエタ族のダトゥ、マカプティと交渉し、土地を購入して定住しました。ダトゥ、プティは、マカトゥナと対決するためにボルネオに戻りますが、その前にダトゥ、スマクウェルを後継者に指名し、そのスマクウェルの末裔がビサヤ人になりました。

また、ダトゥたちは、パナイ島の将来を担うリーダーを養成するため「ボソアン」と呼ばれる学校を設立し、そこで教えた弓矢や槍、刀、ナイフなどの操作技術が「カリ」であったとういものです。

この10人のダトゥの話は、1907年にペドロ・モンテクラロが出版した「マラグタス」に収められたものですが、ボソアン説は、「カリ」のルーツをこのボソアンに求めるものです。しかし、マラグタスは、パナイ島に伝わる民話や口述伝承を集めたものであり、歴史資料ではありません。

実際に起こった出来事を目撃者が記録したものではないため、現在では、マラグタスの内容を事実と信じる歴史家はひとりもいません。

「カリ」に対する固執

世界最大のアーニス団体、モダン・アーニスの創始者、レミー・プレサスは、1983年に出版した “Modern Arnis The Filipino art of stick fighting” のなかでアーニスの歴史について解説し、「最も古い形式のひとつに、タジャカレレ(インドネシア・フェンシング)がある。」と、「カリ」のルーツをタジャカレレに求めています。

タジャカレレは、モルッカ諸島に伝わる、儀式のときに行われる、模擬戦をともなうダンスですが、使用する武器は槍や盾などであり、「カリ」の武器ではありません。おそらく、プレサスは「タジャカレレ」の音が「カリ」に似ていることからそう推測したのでしょう。

「タジャカレレ」や「フィリピン南部の武術『カリ』」「マジャパイトの武術『カリ』」「ボソアンの武術『カリ』」など、これらはすべて、ヤンバオが主張した、スペイン人到来前から存在する「フィリピン古来の武術『カリ』」という作り話に固執したためにできたものだといえます。

黄金の過去へのあこがれ

巨大な石造建造物、ボロブドゥール遺跡(インドネシア、ジャワ島)

「カリ」はスペイン人到来前から存在した。「カリ」はシュリービジャヤ、またはマジャパイトからやって来た武術だ。という話はなぜ生まれたのでしょうか?

フィリピンのネットでは、今でもフィリピン人のルーツをシュリービジャヤやマジャパイトに求める意見が根強くあり、それに対し、前述のホベルス・ベルサレスは ”Cebu Daily News” のコラムのなかで、以下のように述べています。

  • フィリピン人は、失われた過去にあこがれている。
  • 植民地化され、宣教師によって、自分たちの叙事詩や英雄的な民間伝承を消し去られ、彼らのものに置き換えられたためである。
  • インドネシアのボロブドゥール寺院に代表されるような、近隣諸国に見られる黄金の過去に対するあこがれがある。
  • そのため、他からスクラップを手に入れ、それらを自分のものにして、台座の上に持ち上げ、装飾を加え、自分たちも彼らの一員であったことを誇りに思うようにしている。

スペイン人が到来した当時のフィリピンには、広大な地域を支配する社会組織や宗教組織は存在せず、人々は、ダトゥがとりまとめる30戸~100戸のバランガイと呼ばれる小規模な共同体で生活していました。ニッパヤシや竹でできた家に住み、記録された歴史も持っていませんでした。

そのような歴史に満足できないひとたちは、巨大な石造建造物を持ち、権力の座をめぐって英雄たちが攻防を繰り広げる歴史を持つ、海の向こうの人々にあこがれたのでしょう。

シュリービジャヤ・マジャパイト説やボソアン説を創作したひとたちの心のなかには、黄金の過去に対するあこがれがあり、それがスペインの影響を受けた武術「エスクリマ」(またはアーニス)ではなく、フィリピンに古来からある武術「カリ」の存在を信じる気持ちになったのかもしれません。

参考資料

  1. Co, G. (2009). Eskrimadors: A Filipino Martial Arts Documentary. Point Source Filims.
  2. Inosanto, D. & Johnson, G. (1980). The Filipino Martial Arts. CA: Know Now Publications.
  3. Wiley M. V. (1997). Filipino Martial Culture. MA. Tuttle Publishing.
  4. Wiley M. V. (2001). Arnis: Reflections on the History and Development of Filipino Martial Arts. MA. Tuttle Publishing.
  5. Presas, R. (1983). Modern Arnis: The Filipino Art of Stick Fighting. CA. Ohara.
  6. Bersales, J. R. Persistence of the Sri Vishaya hoax. Cebu Daily News. Dec. 26. 2018. URL: https://cebudailynews.inquirer.net/209462/persistence-of-the-sri-vishaya-hoax

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