アーニス/エスクリマの技術の変遷(2)

パラカウの写真 アーニスの技術
バリンタワク・エスクリマのパラカウの様子。

アーニスの技術は、時代とともに少しづつ変化して現在に至っています。今回は、アーニスの武器がスティックになったことによって生まれ、20世紀に入って普及、発展した現代的エスパダ・イ・ダガが、どのような理由で衰退し、現在のシングル・スティック中心のアーニスに変化したかについて書いてみます。

コルト・リニアルへの移行

戦前のドセ・パレスでは、ロレンソ・サアベドラによって、現代的エスパダ・イ・ダガと並んで、「コルト・リニアル」と呼ばれるスタイルも指導されていました。このコルト・リニアルは、相手に接近した間合い(コルト)で、左手はフリーにし、右手にスティックを1本だけ持って戦うスタイルで、攻撃が直線的(リニアル)であることからそのように呼ばれました。

このコルト・リニアルの誕生について、バリンタワク・エスクリマのマスター、サム・ブオトは、著書 “Balintawak Eskrima” のなかで、ドセ・パレスでエスパダ・イ・ダガの練習中に、アンション・バコンが、左手のナイフで相手を小突いて遊んでいるのを見て、ロレンソ・サアベドラが、バコンのナイフを取り上げてしまったことから生まれたという話を紹介しています。

しかし、イシン・アティリョの著書 ”Atillyo Balintawak Eskrima” には、ロレンソ・サアベドラの学んだアーニスのスタイルに「デ・クエルダス」や「デ・カデナ」と並んで「コルト・リニアル」の名が挙げられていることから、コルト・リニアルは、アーニスの武器がブレードからスティックに変わった19世紀後半にはすでに存在していたものと思われます。

ブオトの話は、本人も伝説にすぎないと述べていることから、コルト・リニアル誕生の歴史を正確に伝えるものではありませんが、この話からは、アーニスの実戦性を追求するバコンが、現代的エスパダ・イ・ダガの技術に何の興味も持っていなかったことがわかります。

モロの海賊との戦いのなかで生まれた古典的エスパダ・イ・ダガとは違い、現代的エスパダ・イ・ダガは、平和な時代になり使用する武器がスティックへと変わったことで生まれたものでした。戦うために生まれた技術ではなく、練習するために生まれた技術であったため、ドーリン・サアベドラに次ぐドセ・パレスのトップファイターであったバコンには興味が持てなかったのでしょう。

戦前のドセ・パレスでは、現代的エスパダ・イ・ダガの練習が中心であったことはすでに述べましたが、これがシングル・スティック中心の練習に変化していく過程については、2011年に私がカコイ・ドセ・パレスで練習した際に、カコイ・カニエテの孫のチャック・カニエテが語ってくれました。

チャックによると、エスパダ・イ・ダガのときに左手のナイフで相手の武器を押さえても、相手の武器をしっかりコントロールすることはできないが、相手の武器はもはやブレードではないので、左手のナイフを捨ててフリーにし、その左手で相手の武器をつかんだほうが確実にコントロールできるため、シングル・スティックの練習へと移行していったそうです。

伝統を重んじるモモイ・カニエテなどは、エスパダ・イ・ダガを好んで練習しましたが、多くのエスクリマドールは、より実戦的で、スティック1本あれば戦えるコルト・リニアルを好むようになり、戦後になるとシングル・スティックがアーニスの練習の中心となりました。

しかし、戦前のエスパダ・イ・ダガ中心の練習が無駄であったかというと、そうでもありません。このエスパダ・イ・ダガの練習の過程で、コンバット・ジュードーを応用した、武器を持った状態で使うさまざまなジョイント・ロック(関節技)やテイクダウン(投げ技)の技術が開発され、それらの技がシングル・スティックにも受け継がれていったからです。

コルト・リニアルは、ロレンソ・サアベドラから、甥のドーリン・サアベドラとアンション・バコンに伝えられ、ドーリンは、このコルト・リニアルの技術で数々のバハドを勝ち抜き、ドセ・パレスの名をフィリピン中にとどろかせました。

そして戦後、ロレンソとドーリンが抜けたドセ・パレスで、カニエテ家がサアベドラのアーニスを変えていくようになると、コルト・リニアルこそが最強のアーニスだと確信するバコンは、サアベドラが伝えたコルト・リニアルを守り、正しく伝えるために、バリンタワク・セルフ・ディフェンス・クラブを設立したのでした。

コルト・リニアルの特徴

コルト・リニアルは、相手に接近した間合い(コルト)で、直線的(リニアル)なストライクを相手に打ち込むスタイルのアーニスです。言い換えると、間合いはスティック・ファイティングの間合いを取るのですが、攻撃は刀で相手を斬るような直線的な軌道で打撃を出す、ブレード・ファイティングの動きを残したスティック・ファイティングといえます。

現代的エスパダ・イ・ダガと同じく、相手が攻撃を出すと、間合いを詰めて、相手の攻撃を力と力、武器と武器がぶつかり合うように受け止めるのが特徴で、古典的エスパダ・イ・ダガのような、相手と離れた間合いを保ち、相手の死角に回り込むようなフットワークや、武器と武器がぶつかり合わないように相手の攻撃を反らしたり流したりするブロックは使いません。

また、コルト・オリヒナルのように、歩幅を広く取り、腰を落として構えたりもしません。歩幅は歩いているときの歩幅であり、腰の高さも立ち止まって軽くヒザを曲げた程度の高さで、自然に立ち、両手を上げてスティックを体の前に構え、相手の攻撃に備えます。

アーニスの技術は、古典的エスパダ・イ・ダガから現代的エスパダ・イ・ダガに変わると、フットワークやブロックがよりシンプルになりましたが、それがコルト・リニアルになると、構えが自然になり、武器の操作が容易になったことで、さらに学びやすいものとなりました。

キャンドル・スティックで攻撃をブロックする、CEMのグランドマスター、ロドリゴ・マランガ(右)。

例を挙げると、アンション・バコンの弟子のティモール・マランガのアーニスを継承するコンバット・エスクリマ・マランガ(CEM)では、スティックを体の前に立て、左手でそのスティックを補助する「キャンドル・スティック」と呼ばれる構えを基本としています。

コルトの間合いに入り、キャンド・ルスティックで構えれば、相手の攻撃が来る方向に体の正面を向けるだけで、真上から打ち下ろす攻撃を除けば、すべての攻撃をブロックすることが可能になります。コルト・リニアルによって、複雑なフットワークや手技は使わなくても、あらゆる攻撃を効率的に防御できるようになりました。

そのティモール・マランガの弟子のレミー・プレサスは、このコルト・リニアルのシンプルな考えや技術をさらに追求して、モダン・アーニスを創始し、現在、モダン・アーニスは世界最大のアーニス団体となっています。

現代的エスパダ・イ・ダガでは、左手のナイフで相手の武器をコントロールする、タピタピと呼ばれる技術と、コンバット・ジュードーの技術を合わせることで、武器を持った状態で使うジョイント・ロックやテイクダウンの技術を次々と開発していったことはすでに述べました。

コルト・リニアルになると、自由になった左手を使って、相手の手や手首をつかんで関節を複雑にコントロールしたり、相手のスティックをつかめるようになったことで、スティックを持った状態で使うジョイント・ロックやテイクダウンの技術が進化したことはもちろんですが、ディスアーム(相手のスティックを奪い取る技)が新たに開発されました。

また、ディスアームやジョイント・ロック、テイクダウンの技術が、コルト・リニアルによって素手になった左手と、素手の技術であるコンバット・ジュードーが組み合わさって開発されたことから、それらの技術は自分が素手の状態でもそのまま応用できるものとなりました。

シンプルなフットワーク、シンプルなブロック&カウンター、多彩なディスアーム、素手の場合にも応用できるスティックの技術など、コルト・リニアルの特徴は現代アーニスの特徴そのものであり、現代アーニスはコルト・リニアルによって形作られたといえます。

バリンタワク・システム

コルト・リニアルの代表であるバリンタワク・エスクリマの練習法として有名なのは、パラカウです。パラカウは「歩行」という意味で、相手に接近した間合い(コルト)から、相手の直線的(リニアル)な攻撃を、スティックでブロックして、相手に直線的な攻撃を返すと、相手も同じように、その攻撃をスティックでブロックして、直線的な攻撃を返すという攻防を延々と繰り返す練習法です。受けて、返すをお互いに繰り返す、スティックで行うキャッチボールのようなものです。

このパラカウの練習法を飛躍的に発展させたのが、1957年にホセ・ビリャシンとティオフィロ・ベレスが設立した、バリンタワク・インターナショナル・セルフ・ディフェンス・クラブ(以下、バリンタワク・インターナショナル)です。ランダムな指導のため理解しにくかったバコンのアーニスの技術を、分解し、組み立て直し、グループ化することで誰にでもわかりやすいようにしたこのシステムはグルーピングと呼ばれ、今ではほとんどのバリンタワク・エスクリマのグループで採用されています。

ただし、バコンの技術はグループ化や単純化できるものではないため、グルーピングによってバリンタワク・エスクリマの実戦性が失われるという意見もあり、実際バコン自身も、晩年に自分の理想のアーニスを指導したグループ、バリンタワク・オリジナルではグルーピングは採用していませんでした。

バコンは晩年、グルーピングを使わないこの理想のスタイルをすべてのバリンタワクのグループに受け入れさせようとしましが、グルーピングによる指導のしやすさや学びやすさというメリットはデメリットをはるかに上回っていたため、バコンの理想を受け入れる者はほとんどいなかったほどでした。

グルーピングでは、つかみやバット・ストライク、突き、アバニコ、ディスアーム、パンチなどの攻撃に対するカウンターをグループ化し、それらをパラカウに組み入れることで、誰もが段階的に技を習得できるようになっています。この画期的なシステムの導入により、バリンタワク・エスクリマは、1952年発足の後発団体でありながら、短期間のうちにメンバーを増やし、ドセ・パレスと肩を並べるセブのアーニスの主流団体となりました。

(動画)バリンタワク・エスクリマの指導の様子

上の動画は、パラカウの基本を説明するモニ・ベレス(右)の様子です。モニは、グルーピングを開発したティオフィロ・ベレスの息子で、バリンタワク・インターナショナルの後継団体、WOTBAGのチーフ・インストラクターです。

この動画では、パラカウの基本を説明していますが、前回紹介したイラストリシモ・エスクリマエスクリマと比べて、相手との間合いが非常に近く、力と力、武器と武器がぶつかり合うようなブロックを使っていることがわかります。また、左手を使ったコントロール(タピタピ)についても説明しています。

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(動画)バリンタワク・エスクリマの指導の様子

上の動画も、同じくモニ・ベレス(右)によるパラカウの説明です。力強く素早い攻防は、バリンタワク・エスクリマの醍醐味です。また、お互いに前後にステップしている様子はまさにパラカウ(歩行)です。

(動画)バリンタワク・エスクリマの演武

上の動画は、長年WOTBAGのインストラクターを務めた後、2004年に独立してニッケルスティック・バリンタワクを創始した、グランドマスター、ニック・エリザールの演武です。

1:55あたりでエリザールが「スティックは、我々には、手の延長にすぎない。」と語っていますが、これは先ほど述べたように、スティックを持った状態で使うディスアームやジョイント・ロックなどの技術が、タピタピとコンバット・ジュードーの技術を合わせて開発されたためです。

相手に接近して、シングル・スティックで戦うコルト・リニアルは、19世紀後半に生まれ、ドセ・パレスでディスアームやジョイント・ロックの技術が加わり、バリンタワク・インターナショナルでグルーピング・システムが開発されることで完成しました。

容易に扱えるシングル・スティックに、複雑なフットワークやブロックを必要としないコルト・リニアルの特性と、誰もが段階を踏んで確実に上達できる画期的なシステムが加わり、バリンタワク・エスクリマは、今ではセブを超えて世界中に広まっています。

そして、コルト・リニアルの影響を受けたシングル・スティックの技術は世界中に広まり、現在、世界のアーニスのスタンダードとなっています。

一方で、サアベドラのアーニスやフィリピンの伝統にこだわりを持たなかったカニエテ家では、コルト・リニアルにさらなる改良が加えられ、新たなコルトが開発されていきました。

参考資料

  1. 大嶋良介「セブ島のアーニス:第3回 バリンタワク・エスクリマ アーニスのシステム化」『月刊秘伝 2020 AUG. 8』2020年7月14日, BABジャパン。
  2. 大嶋良介(2013)「公開!フィリピン武術の全貌」東邦出版。
  3. Buot, S. (2016). Balintawak Eskrima. PA. Tambuli Media.
  4. Atillo, C. I. (2020). Atillo Balintawak Eskrima. Crispulo Atillyo & Glen Boodry.

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