「カリ」伝説の隆盛と終焉

ルネタ公園の写真 「カリ」についての考察
休日のルネタ公園でのアーニスの練習

フィリピン武術がどこでどう生まれ、どのように発展していったのかについてはさまざまな説があります。今回は、今から20年ほど前に日本でフィリピン武術がどのように紹介されていたか、そして、それが現在どうなっているかを私の体験を交えて書いてみます。

20年前のフィリピン武術像

私は2001年から日本でフィリピン武術の練習を始めましたが、そのころ日本ではフィリピン武術は今以上に世間に知られておらず、歴史についてネットや本などで得られる情報は、ごくわずかなものでした。

その当時、日本で知られていた情報は、だいたい以下のようなものでした。

  • インドネシアにあったマジャパイト王国(13世紀から16世紀にジャワ島にあった王国)には「カリ」と呼ばれる武術があり、それがフィリピン南部のモロ(イスラム教徒)に伝わった。
  • 「カリ」はマザーアートであり、インドネシアに残った「カリ」がシラットとなり、フィリピンに伝わった「カリ」が「エスクリマ」や「アーニス」などに分派した。
  • フィリピンに渡った「カリ」は、時代とともに変化し、エスクリマやアーニス、シカラン、パグカリカリ、カリラドゥマンなどのフィリピンのあらゆる武術に分派した。
  • マクタン島の王、ラプラプは「カリ」を使って、スペインの侵略者、フェルディナンド・マゼランを撃退した。
  • 太平洋戦争後、「カリ」の使い手はすべてアメリカに移住してしまったため、もはやフィリピンには「カリ」は存在しなくなった。

上記の説の「原型」は、アメリカでフィリピン武術を広めたダン・イノサントが、1980年に出版した “The Filipino Martial Arts” で紹介した話にありますが、80年代以降、フィリピン武術がアメリカを超えて世界に広まるなかで、世界中の武術家に事実として信じられるようになりました。

イノサントはブルース・リーが創始した武術、ジークンドーの継承者でもあり、2000年代初頭に日本でフィリピン武術を練習していたのはジークンドー団体だけであったため、当時の日本でもこの説がフィリピン武術の歴史として広まっていたのでした。

「カリ」伝説の発展

前章では「原型」と述べましたが “The Filipino Martial Arts” のなかでイノサントは「カリ」はフィリピン南部に古来から伝わる武術とは述べてはいるものの、マジャパイト王国の武術であると、具体的には述べてはいません。「マジャパイトの武術」という具体的な話は、後にイノサントの弟子たちが創作したものだと思われます。

1992年、イノサントの弟子のバートン・リチャードソンは、自身が出演するビデオ “Jeet Kune Do Concept Vol.2” のなかで「東南アジアにはかってマジャパイトと呼ばれる帝国があり、ベトナム、ラオス、カンボジア、ブルマ、タイ、マレーシア、フィリピン南部はすべてひとつの同じ文化であった。」「武術も同じであった。」と語っています。このことから、80年代を通して、イノサントの話が具体的になっていったことがわかります。

私は2001年から、日本のジークンドー団体でフィリピン武術を学ぶようになりましたが、その団体の当時のウェブサイトにも「日本が室町時代だった頃、東南アジアにマジャパヒト王国という国がありました。 この国にカリと呼ばれる武術がありました。これが、今日(コンニチ)のカリ/シラットの原型です。」とマジャパイト王国の話が書かれていました。

また、そのウェブサイトには、「カリ/シラットは、今日では多くの流派に別れていますが、主として、フィリピン系をカリ、インドネシア系をシラットと呼びます。カリの一部の流派はエスクリマやアーニスに分派しましたが、これらはカリの親戚の様なものです。」とも書かれており、1980年にイノサントが漠然と語った話が、2000年代初頭になるとより洗練されたものになっていたことがわかります。

「カリ」伝説に対する疑問

私は1990年代後半からフィリピン武術に興味を持ち、アメリカで出版された本やビデオを集めて独自に研究を始めました。また、それ以前に何度かフィリピンを訪れて現地の歴史や文化を学んでいたため、イノサントやその弟子たちが主張する「カリ」の歴史には当初から疑問を持っていました。

前章のマジャパイトの話でいえば、王国の年代記「ナーガラクルタナガマ」には、マジャパイトが現在のインドネシアに匹敵する地域を支配したことが書かれています。しかし、実際に王国の支配が及んだのはジャワ島とマドゥラ島、バリ島だけであり、フィリピンを支配した事実はなく、タイ、ラオス、カンボジア、ビルマ、マレーシアなどなどを支配した事実もありません。当然、東南アジアの文化がすべて同じだったわけがありません。

フィリピンだけをとってみても、7000以上の島があり、180以上の言葉が話され、それぞれの地域に独特の文化があります。統一権力のなかった時代のフィリピンで、ひとつの武術が全地域に広まるなど考えられません。

また「ラプラプが『カリ』でマゼランを撃退した」という話も、マゼランの航海に同行したアントニオ・ビガフェッタの記録「マゼラン 最初の世界一周航海」の記述とまったく違っています。

ピガフェッタの記録によると、ラプラプの兵士たちは、竹槍や火であぶって固くした鋭いこん棒、石などをマゼランに投げつけ、スキをみて広刃刀で左脚を切り、うつぶせに倒れたマゼランに鉄槍や竹槍、広刃刀を一斉に浴びせて絶命させています。

ラプラプが1対1で「カリ」を使ってマゼランと戦ったような劇的な記述は見られませんし、使っている武器もシングル・スティック(ソード)やエスパダ・イ・ダガなのような、「カリ」の武器とはまったく違っています。

イノサントの主張する「フィリピン古来の武術・カリ」という話が、エスクリマやアーニス(どちらも同じ武術)に箔をつけるための虚構だと確信すると、私の「カリ」に対する興味は一気にうすれ、逆にフィリピンでアーニスを学んでみたいという気持ちが強くなりました。

ネットで調べるとフィリピンにはアーニスの道場はいくつもあり、「もはやフィリピンには『カリ』は存在しなくなった。」という話も、”The Filipino Martial Arts” が出版された1980年には信じられたのかもしれませんが、2004年にはもはや信じるに値しない作り話となっていました。

「カリ」伝説への抵抗

日本からメールで連絡を取った私は、2004年10月にマニラのバクバカン・インターナショナルと、セブのドセ・パレス・インターナショナルを訪れ、クリストファー・リケットとディオニシオ・カニエテの下でアーニスを体験的に学び、2005年からはマニラでバハド・ズブを本格的に学ぶようになりました。

現地に行ってみると、「太平洋戦争後、『カリ』の使い手はすべてアメリカに移住してしまったため、もはやフィリピンには『カリ』は存在しなくなった。」などという話に反し、マニラだけに限定しても、数えきれないほどのマスターたちがおり、休日のルネタ公園では、さまざまなスタイルのアーニスを指導していました。

しかし、日本の武術雑誌のインタビュー記事には依然として「(質問)イノサント先生は、アメリカでフィリピン武術を学んだのですか。」「(答え)そうです。ジョン・ラコステ師を始め、フィリピン武術家は、皆、アメリカに移住しており、現地にはほとんど武術家はのこっていないそうです。」などと書かれており、現地フィリピンの正しい情報はまったく伝わっていませんでした。

ネットやマスメディアが誤った情報を真実であるかのように伝えていることに不満がつのると同時に、アメリカの「カリ」ではなく、フィリピンの「エスクリマ」や「アーニス」に関する正しい情報を日本で伝えたいという思いが日に日に強くなっていきました。

これが10年、20年前だったらなす術はなかったのですが、幸運なことに、2005年にもなると自分でウェブサイトを立ち上げて情報を発信できる時代になっていたため、どれだけ効果があるかはわからないものの、とりあえず情報を発信してみることにしました。

2005年にたちあげたフジ・アーニス・クラブのウェブサイトには、その当時の最新の現地情報や歴史研究の成果を発表しましたが、その記述は、年とともに研究が進んだことで、少しづつ内容が書き変えられて現在にいたっています。

ウェブサイトをたちあげてから18年が経過した現在の日本では、ネットでアーニスに関する情報を調べても、あれだけ広まっていた「カリ」伝説はまったく出てきません。逆にフジ・アーニス・クラブのウェブサイトに記述されている情報や、それをもとにした情報があふれています。

まだまだネット上には、フィリピン武術に関する誤った情報は見られますが、ウェブサイトを立ち上げた甲斐は十分あったと思います。

写真集 バクバカン・インターナショナル

2004年10月、アントニオ・イラストリシモの高弟のひとり、クリストファー・リケットの自宅でのトレーニングの様子です。

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参考資料

  1. Inosanto, D. & Johnson, G. (1980). The Filipino Martial Arts. CA: Know Now Publications.
  2. Richardson, B. (1992). Jeet Kune Do Concept Vol.2 [VHS]. CA. Unique Publications.
  3. K.N. (東京本部). “カリ/シラットとは何か?”. IUMA日本振藩國術館. 2005年1月11日. URL: https://www.bruceleejkd.com/jkd/aboutia/kali/kali.html. (リンク切れ)
  4. 生田滋、石澤 良昭(2009)「世界の歴史13 – 東南アジアの伝統と発展」中央公論新社。
  5. ピガフェッタ、アントニオ(2011)「マゼラン 最初の世界一周航海」(長南実訳)岩波書店。
  6. 「素手で武器を制する フィリピノ・カリ 中村頼永」,『BUDO-RA Vol.20』2004年10月1日, ナイタイ出版。

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