アーニスの技術は、時代とともに少しづつ変化して現在に至っています。今回は、伝統にこだわることなくアーニスの実戦性をひたすら追求したカコイ・カニエテが、コルト・リニアルの欠点を克服して創始した「コルト・クルバダ」について書いてみます。
カニエテ家の革新性
1993年に出版された “Masters of Kali, Arnis & Eskrima” には、著者でありラメコ・エスクリマの創始者のエドガー・スリティが、1932年の創設以来ドセ・パレスの総裁を務めた、ヨーリン・カニエテに行ったインタビューが載っています。
ヨーリンが、カニエテ家のアーニスは、18世紀初頭のサンティアゴ・カニエテに始まることや、祖父のレオニシオがアーニスの先生だったこと、自分は父のゴリオとおじのペドロにアーニスを教わったことなどを語ると、スリティは「つまり、同じシステムを何代にも渡って使っているということですか?」と質問しました。
それに対しヨーリンは、「オリジナルのシステムは古典的であり、単調でつまらないものだった。」、「我々は、過去70年に渡って技術に改良を加え、常に技術をアップデートしている。」、「現在のシステムは、オリジナルよりかなり改良され、全く違う形となっている。」、「父から教わった古いスタイルは練習していない。」などと語りました。
さらにスリティが「父とおじ以外からは学びましたか?」と聞くと、今までに教わったさまざまなマスターの説明をしたうえで、「彼らのスタイルはみんな同じで、直線的でつまらないものだった。」と語り、「我々が開発したシステムは、曲線的で、ヘビのような動きであり、相手にディスアームされにくいものだ。」と自慢しています。
一般にカニエテ家は、カコイは伝統をまったく無視する革新主義者であるが、ヨーリンは中立主義、モモイは伝統主義者といわれています。しかし、このインタビューを見ると、ヨーリンも親や師の教えを否定する革新主義者であり、モモイも伝統を重んじるののの、新しい技術をどんどん開発する革新主義者であることから、革新主義はカニエテ兄弟の共通の思想といえるでしょう。
戦後のドセ・パレスでは、日本のベルト・システムが取り入れられ、日本の道着を着たり、日本の武道の技術が取り入れられましたが、これは便利で役に立つものであれば伝統にとらわれずに取り入れようとするカニエテ家の思想からきたものです。
しかし、「サアベドラのアーニス」や「フィリピンの伝統」に強いこだわりを持つアンション・アンション・バコンには、サアベドラのアーニスを変えるなど許せないことでした。またバコンは、抗日ゲリラだった親友のドーリン・サアベドラが1944年に日本軍の憲兵隊に殺されたことから、日本の武術にも嫌悪感を持っていたといわれています。
カコイも太平洋戦争中には抗日ゲリラとして日本軍と戦ったのですが、1956年に日本の柔道家が親善使節としてセブに来ると、10数年前まで殺し合いをしていた相手にも関わらず、真っ先に入門して柔道を学び、自分のアーニスに取り入れました。
カニエテ家とバコンのこの思想の違いが、ドセ・パレスとバリンタワクの対立の原因になったのですが、このことはさらに、ドセ・パレスとバリンタワクのアーニスの技術の違いにもつながっていきました。
コルトの戦いの現実
上の動画はフィリピン武術研究家のパウロ・ルビオが、「バリンタワクの美しさはスパーリングでも保たれるのか。」を検証した動画です。
動画の冒頭でルビオは、「バリンタワクを唯一無二のスタイルにしているのがグルーピング・システムであり、この練習法こそがおそらく、あらゆるフィリピン武術のなかで、最も容易に流派を識別をさせることができるシステムである。」とバリンタワクのグルーピング・システムを比類なきものと高く評価しています。確かにパラカウの力強く多彩な攻防を見れば、誰もがそれをバリンタワク・エクスリマだと識別することができます。
そして、ルビオは、「私はスパーリングが大好きだが、バリンタワクのそのような美しさが、実際にスパーリングで使われているのを見たことがない。」、「もちろん、注意してみれば、バリンタワクの経験者がスパーリングをするときには、技の要素がフルコンタクト・ファイティングのなかに現れるのを見ることができる。」、「しかし、私はフルコンタクト・スパーリングのなかでバリンタワクの美しさが保たれるのを見てみたい。」とスパーリングのなかでもパラカウで見られるような美しい攻防が現れるのかに関心を持っています。
そこでルビオは、タボアダ・バリンタワクのレベル6である友人のジョー・アポストロフの協力を得て、スパーリングをすることでそれを検証してみます。
タボアダ・バリンタワクは以前に記事「アティリョ・バリンタワク(2)」で紹介した、ボビー・タボアダが主宰するバリンタワクのグループです。そのランキングはレベル1からレベル7まであり、レベル6は、タボアダ・バリンタワクのウェブサイトによれば、直接タボアダの審査を受け、「タボアダ・バリンタワクの技術が完成」し「システムを教えることを承認された」レベルということです。
スパーリングの結果、ルビオは、「グルーピング・システムのいくつかの要素は、フルコンタクトのスティック・ファイティングに応用できることがわかった。」と語っています。
しかし逆にいえば、相手の攻撃をスティックでブロックして、カウンター・ストライクを返すと、相手もそれをスティックでブロックしてカウンター・ストライクを返すという、バリンタワク・エスクリマの美しい攻防が、スパーリングではまったく見られないこともわかります。
この動画を見てわかるのは、双方ともコルト(近距離)の間合いに入ると、相手の攻撃をスティックでブロックすることはせず、左腕を伸ばして防いでいることです。コルトの間合いでは、右手に持ったスティックを体の左側に移動させて相手の攻撃をブロックするよりも、相手のスティックのすぐ近くに位置している左腕(左手)を伸ばして攻撃を防ぐほうが素早く効率的だからです。
左腕を伸ばし、相手の攻撃の軌道をふさげば、フリーになっている右手ですぐに相手を攻撃できるため、スティックでブロックしてからカウンターを打つよりも効率的に反撃ができます。ボクシングや空手でも、相手のパンチは近くにある手で受け(流し)ながら、もう一方の手で攻撃をすることを考えると、これが理にかなった自然な動きなのでしょう。
ただし、直線的な攻撃は軌道をふさがれるとそれ以上何もできなくなるため、相手も同じようにして自分の攻撃を防ぐと、お互いが左腕を伸ばして何もできない状態となり、もみ合い、膠着してしまいます。動画でもそのような場面が何度も見られます。
これがコルトのスパーリングの現実です。お互いが相手の攻撃をスティックでブロックするという約束がなければ、誰もが反射的に、フリーになっている左腕(左手)で相手の攻撃を防御し、それをお互いが行うことで、結局スパーリングは膠着状態となってしまいます。
このコルト・リニアルの現実を克服するためにカコイ・カニエテが創始したのがコルト・クルバダでした。
コルト・クルバダの特徴
カコイ・カニエテは、1932年のドセ・パレスの創立に14歳で加わったエスクリマドールで、当時最新のアーニスであったコルト・リニアルをドセ・パレスで学びましたが、ドーリン・サアベドラやアンション・バコンのようにコルト・リニアルの技術に満足することはありませんでした。
それはカニエテ家が革新的な性格であり、古いスタイルのアーニスに興味を持てなかったことにもありますが、一番大きな理由はコルト・リニアルの技術に満足できなかったからです。実際のコルトの戦いでは、自分の直線的な攻撃は、相手の左腕(左手)で簡単に防がれてしまい、一度防がれると何もできなくなってしまうからでした。
この欠点に気づいたカコイは、コルトでのスティックを使った戦いの利点や欠点を分析し、サアベドラの教えやフィリピンの伝統にとらわれることなく、コルトの戦い方を再構築しました。
コルトでは相手の攻撃は左手だけで防げるので、スティックを使ったフロックは捨ててしまい、左手で相手の攻撃をコントロールする技術(タピタピ)の技術を高めることにしました。相手の武器はブレードではなくスティックであり、コルトの間合いならば、攻撃が多少当たっても大きなダメージは受けないため、左手を防御に専念させることで、右手を攻撃に専念させるようにしました。
また、スティックを体の前に構えると、スティックを相手に差し出す形になり、相手の左手で簡単にコントロールされてしまうので、固定した構えも取らないことにしました。固定した構えを取らず、スティックを持つ手を動かし続けることで、相手の左手によるコントロールを逃れながら、さまざまな角度から攻撃を出し続けられるようにしました。
そして、左腕を伸ばしただけで簡単に防がれてしまう直線的な(リニアル)ストライクは捨て、手首のスナップや回転を使って繰り出す、曲線的な(クルバダ)ストライクを開発しました。自分の武器はもはやスティックなので、刃筋は関係なく、どの角度で、どの部分が当たっても相手にダメージを与えることができるため、ストライクを曲線的にすることで、相手に攻撃の軌道を読まれにくくし、たとえ相手が左手で攻撃を止めたとしても、手首を回転させることで、相手に攻撃を当てられるようにしました。
こうして完成したのが、接近した間合い(コルト)から曲線的な(クルバダ)ストライクを出す、カコイ・カニエテの代名詞であり、ドセ・パレスのアイデンティティーといえるコルト・クルバダです。
コルト・リニアルでは、相手の単発のストライクをスティックでブロックしてから、単発のカウンター・ストライクを返す「パラカウ」が攻防の基本でしたが、コルト・クルバダでは、相手の攻撃は左手だけで防ぐようになったため、左手で相手の攻撃をコントロールしながら、右手でコンビネーション・ストライクをひたすら打ち続ける「パルソ」が攻防の基本となりました。
「パルソ」とは、「狭い場所にものを通す」という意味で、自分の右手をコントロールしようと追いかけてくる相手の左手をすり抜けて、相手の体にスティックを当てるところから名づけられました。
バリンタワク・エスクリマでは、グルーピングのなかで攻防の手順が決められており、グルーピングで攻防の基本を学んだら、パラカウを通してその技術を高めていきますが、ドセ・パレスでは、コンビネーション・ストライクとタピタピの基本を身につけたら、攻防の手順を学ぶことなく、パルソの練習に入り、パルソのなかで自分独自の攻防の技術を身につけていきます。
バリンタワクのように段階を踏んで誰もが上達していくシステムではなく、上達のスピードは人それぞれとなりますが、自由な攻防のなかで自分独自の技が開発でき、そのために他の武術を研究したり、技を取り入れたりするなど、技術が常に進化するようになっています。実際、コルト・クルバダを専門に練習するカコイ・カニエテ・ドセ・パレス(CCDP)では、常に最新の武術の研究をして、アーニスをアップデートしています。
上の動画は、CCDPのグランドマスタージョン・マック(左)によるパルソです。
右手のスティックはブロックに使わず、左手で相手の右手をコントロールし、逆に、自分の右手は相手にコントロールされないよう、常に動かしながら、曲線的なストライクを出し続けているのがわかります。
進化するアーニス/エスクリマ
アーニスの技術は、古典的エスパダ・イ・ダガから現代的エスパダ・イ・ダガに移行する過程で、間合いが近くなり、フットワークとブロックが単純化し、現代的エスパダ・イ・ダガからコルト・リニアルに移行する過程で、左手が素手になり、多彩なディスアームが生まれ、コルト・リニアルからコルト・クルバダに移行する過程で、スティックによるブロックがなくなり、クルバダ・ストライクが導入されました。
コルト・クルバダの誕生により、武器を体の前に構え、相手の攻撃を武器でブロック(コントロール)し、直線的な攻撃を返す、というスペイン剣術以来のアーニスの伝統は完全に消失し、それまで見たこともないまったく新しい武術が生まれました。
このことは、サアベドラのアーニスやフィリピンの伝統にこだわり、コルト・リニアルこそ最強のアーニスだと信じるアンション・バコンには許せない行為でしたが、伝統にはまったく興味がなく、強くなること、バハドに勝つことしか考えなかったカコイにとっては当然の結果でした。
結局これが原因でバコンはドセ・パレスを脱退したのですが、強さを求めるカコイの探求心は止まることはなく、柔道、柔術、レスリング、合気道、空手など、役に立つのなら外国の武術でもこだわることなく自分のアーニスに取り入れていきました。
1948年に行ったバハドで、相手を3回足払いで倒して勝ったことから、アーニスに柔道や柔術、合気道の投げ技や逆技を取り入れて創始したのが「エスクリド」でした。
上の動画は、グランドマスター、ジョン・マック(左)によるパルソです。
ここで多用されて投げ技や逆技がエスクリドです。見てわかる通り、エスクリドは相手に密着しない形での投げ技や逆技が中心ですが、カコイの研究はそこで止まりませんでした。
コルトの間合いのスパーリングでは、お互いに距離が詰まってクリンチしたり、スティックをにぎり合って膠着してしまうことがよくありますが、その膠着状態を打開するためにカコイが、本格的に研究したのが柔道でした。
カコイは、戦後間もない1956年から、太平洋戦争後の親善使節として来比した日本の柔道家、ヒロセ・ユウイチに柔道を学び、その後、数々の国内トーナメントで活躍し、サン・カルロス大学の柔道のコーチを務めるまでになりました。
現在でもCCDPはアーニスの道場であると同時に柔道の道場でもあり、そこで柔道を学ぶ弟子たちも多くいるため、CCDPのパルソでは、投げ技や寝技が当たり前に行われます。また、常に最新の技術を取り入れてアーニスを進化させるCCDPでは、現在はブラジリアン柔術の技術を研究して取り入れています。
上の動画は、マスター・ダニー・セルンドと私のパルソです。
CCDPでは、マスター・ダニーを含め、多くの練習者が柔道を経験しているため、パルソに組打ち、寝技が入るのは当たり前のことです。アーニスに柔道やレスリングの投げ技、柔術やグラップリングの寝技が入ることに文句をいう者も、疑問に思う者もいません。
「技術に改良を加え、常に技術をアップデートしている。」とヨーリンが語ったドセ・パレスの精神は、今もCCDPに脈々と受け継がれています。
参考資料
- Sulite, E. G. (1993). Masters of Arnis Kali and Eskrima. Manila. Bakbakan International.
- Atillo, C. I. (2020). Atillo Balintawak Eskrima. Crispulo Atillyo & Glen Boodry.
- Can Balintawak Still Look Like Balintawak in Sparring?. URL:https://www.youtube.com/watch?v=03xbsG8MwsY. (April 11, 2024).
- Taboada Balintawak Curriculum Testing and Certificate Guidelines – Grand Master Bobby Taboada’s Balintawak Eskrima Cuentada System. April. 11. 2024. URL:https://gmbobbytaboada.wixsite.com/home/curriculum-testing-and-guidelines.
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