「カリ」の歴史 誕生編

ベルト・ラバニエゴの写真 「カリ」についての考察
ディスアームを演武する、エスクリマ・ラバニエゴの創始者、ベルト・ラバニエゴ(左)。

今回から3回にわたり、フィリピン武術の名称である「カリ」がどのように生まれ、発展し、アメリカで広まっていったのかを、順を追って説明します。今回は「カリ」の誕生について書いてみます。

カリ、エスクリマ、アーニス

「カリ」についてのイメージを世界中に広めたのは、ダン・イノサントであることに間違いはありません。

イノサントが1980年に出版した “The Filipino Martial Arts” のなかで、ビリャブリ・ラーグサ・カリのマスター、ベン・ラーグサが語る「エスクリマ、アーニス、シカラン、シラット、クンタオ、カリラドゥマン、カリロンガン、パグカリカリなど、フィリピンのすべての武術は『カリ』から派生した『カリ』の一部であり、『カリ』こそが完全な体系を持つ、フィリピンに伝わるすべての武術の源流である。」という言葉を紹介したことが、現在世界に広まってる「カリ」の始まりです。

また、イノサントは同時に、シュリービジャヤ王国やマジャパイト王国の武術がフィリピン南部に伝わったこともほのめかしています。その結果、今ではアメリカの多くの武術家が、ミンダナオ島のモロ(イスラム教徒)に伝わる、またはインドネシアからミンダナオ島のモロに伝わった、「カリ」という武術がエスクリマやアーニスの起源だと考えるようになっています。

しかし「カリ」という言葉は、スペインの文献のなかにもフィリピンの伝承のなかにも、武術の名称として一切出てきません。また一般のフィリピン人ならだれでも「アーニス」、「エスクリマ」という言葉は知っていますが、「カリ」という言葉を知っている人は、武術家を除けばだれもいません。

フィリピンでは地域によって武術の呼び名が違い、北部では「アーニス」、中部では「エスクリマ」、南部では「カリ」という名で呼ばれているという説もアメリカなどで広く伝わっています。この説はラメコ・エスクリマの創始者・エドガー・スリティが1991年に出版したラメコ・エスクリマの教則ビデオ ”Lameco Eskrima at the Vortex” の冒頭の部分で、「『カリ』、『エスクリマ』、『アーニス』はすべて同じ武術であるが、フィリピンには無数の方言があるため、南部では『カリ』、中部では『エスクリマ』、北部では『アーニス』と呼ばれている。」と述べたことから広まった説だと思われます。

確かに歴史的な経緯から中部のビサヤ地域では「エスクリマ」が多く使われる傾向はありますが、そのビサヤ地域でも「アーニス」は普通に使われており、「アーニス」、「エスクリマ」はともに地域にかかわらずどこでも使われる言葉といえます。

たとえば、北部のマニラの高名な武術家、ベルト・ラバニエゴが創始した武術の名は「エスクリマ・ラバニエゴ」です。そして、ラバニエゴは、中部のパナイ島マンブサオ出身のベンジャミン・ルナレマが創始した「ライトニング・サイエンティフィック・アーニス」を学んだのちに、エスクリマ・ラバニエゴを創始しています。

また、中部のセブの高名な武術家、フェリモン・カブルナイが創始した武術の名は「ラプンティ・アーニス・デ・アバニコ」です。カブルナイは、中部のビサヤ地域や南部のミンダナオ地域で武術を学んだのちに、ラプンティ・アーニスを創始しています。

中部のアーニスを学んだラバニエゴが、北部でエスクリマを創始し、中部や南部で武術を学んだカブラルナイが、中部でアーニスを創始しています。ラプンティやライトニングが中部ビサヤ地域の武術でありながら「アーニス」であり、その「アーニス」から北部のマニラで「エスクリマ」が生まれたことを考えると、地域と呼び名に何の関係性もないことがよくわかります。

実際、「地域による呼び名の違い」説を述べたエドガー・スリティ自身が、自分の流派をラメコ・エスクリマと名乗りながらも、1986年に ”Secrets of Arnis” というタイトルの本を出版しています。このようなことから「エスクリマ」、「アーニス」の名称は地域や技術の違いなどによるものではなく、本人の好みやそのときの気分によって使い分ける程度のものでしかないことがわかります。

しかし「カリ」についていえば、南部のミンダナオを含めてフィリピンでは誰も知る人がいない言葉であり、実際「カリ」と呼ばれる武術はミンダナオ島のどこにも存在しません。フィリピン人であり、しかも一時期オザミスやザンボアンガに住んでいたスリティがなぜこのような事実に反することを述べたのかは今となってはわかりません。

想像の武術「カリ」

「カリ」という言葉が武術の名称として初めて文献の中に現れたのは比較的最近のことで、1957年にプラシド・ヤンバオが出版した”Mga Karunungan sa Larong Arnis”(アーニス競技の知識)の中でのことでした。ヤンバオはこの著書の中でフィリピン各地に伝わる武術の名称を比較したうえで、フィリピンにはスペイン人到来以前に「カリ」と呼ばれる武術があったことを主張しました。

                                  
ヤンバオが著書で紹介した フィリピン各地の武術の名称
民族 名称意味
タガログ パナナンダタカリスを使う武術
イパナグ パグカリカリ 武装した者同士の決闘
パガシナン カリロンガン勇気や強さを示す戦い
ビサヤ カリラドゥマン紛争を解決するための戦い
イロカノ ディジャ
カバロアン
紛争を解決するための戦い

プラシド・ヤンバオは、第二次世界大戦前にルソン島の各地で行われたアーニス・トーナメントで活躍した有名なエスクリマドール(アーニスの使い手)ではありましたが、歴史については素人だったためか、彼の著書には歴史的な記述の誤りか数多く見られます。

例えば著書のなかで、「レガスピは1564年2月中旬にレイテ島のアブヨグに到着し」と書いてありますが、実際にはレガスピは遠征隊を率いてフィリピンに向かう命令を1564年9月1日にメキシコで受けており、フィリピンに向けて出発したには2ヵ月後の11月21日です。

また、「1564年4月27日にレガスピはセブに上陸し、トゥパス(セブの首長)の兵士たちが『カリ』を練習しているのを見て、『カリは、単に楽しいスポーツというだけでなく、戦場で役立つ戦闘技術だ。』と絶賛した。」と書いてあります。しかし、実際にレガスピがセブに上陸したのは1565年4月27日であり、また「カリ」を目撃した事実もありません。

「1764年にシモン・デ・アンダ・イ・サラザールが武術の練習を禁止した」という記述についても、実際にアンダがそのような法令を出した記録はありません。

ヤンバオはフィリピンにかって「カリ」が存在した証拠として、フィリピン各地の武術の名称を挙げ、ビサヤ地方には「カリラドゥマン」という名称の武術があると述べましたが、実際には、ビサヤ語には「カリラドゥマン」などという言葉はありません。音が近い言葉では「カヒラドゥマン」がありますが、「底、深い場所」といった意味で武術とは何の関係もありません。

フィリピン大学の人類学の教授でエスクリマドールのフェリペ・ホカノによると、「カリ」という名称は、タガログ語やビサヤ語でブレード・ウェポンを指す古語、”Kalis” に由来し、その ”Kalis” の ”s” が脱落したものではないかと推測しています。

“Kalis” という言葉は、マゼランの航海記にも 「短刀」を意味する言葉 “calix” として記録されていますが、ホカノによると実際に ”s” が脱落して記録された文書がいくつか確認ができるそうです。また昔は「武術に熟達している」ことを ”Kalis” に熟達している」と表現することもあり、”Kalis” が「武術」と同義で使われることもあったようです。

そのようなことから、おそらくヤンバオの頭の中には、”Kalis” にヒントを得た「カリ」という言葉が最初にあり、それにあわせて「カリ」の歴史やその裏付けとなる証拠を創作していったのでしょう。ヤンバオの挙げた各地に伝わる武術の名称は、マーク・ワイリーなどのフィリピン武術研究者が述べているように、「カリ」に近い名称を各地の方言の辞書の中から探し出したというのが真実だと思われます。

黄金の過去へのあこがれ

ヤンバオの本が出版された1957年といえば、フィリピンが独立してからわずか11年しか経っていないときです。当時のフィリピンは、16世紀以来400年近く西欧の植民地支配を受けた結果、民族固有の文字や宗教、自分の名前すら失ってしまい、それらはみな西欧式のものに代えられてしまった状態でした。

そのようななかで、スペイン由来の武術だと思っていたアーニスが、実はフィリピン土着の武術「カリ」であったとしたら、それはフィリピン人にとって大きな誇りとなったはずです。ヤンバオは、サンカルロス大学のホベルス・ベルサレスが述べた「失われた過去へのあこがれ」から、「スペイン由来の武術だと思われていたアーニスは、実はフィリピン土着の武術『カリ』であった。」というフィクションを創作したのでしょう。

他国発祥の文化を自国が起源の文化であると主張することで、外国に対する劣等感を克服しようとする話はよく聞きますが、ヤンバオもこれと同じ感情から「カリ」を創作したのだと思います。

しかし、ヤンバオ以降に本を出版したフィリピン武術家たちは、ヤンバオの説をなんら検証することもなく自分の著書のなかで紹介していき、それが伝言ゲームのように伝わり、話が具体性を帯びていくなかで、一般の人たちが「カリ」という武術の存在を本気で信じるようになっていきました。

そして、その伝言ゲームの結果、アメリカでは、ヤンバオが創作した「カリ」の上に「ミンダナオのモロに伝わる武術」という新たな創作が加わり、話がさらに荒唐無稽なものになっていきました。

参考資料

  1. Sulite, E (1991) Lameco Eskrima at the Vortex [VHS]. CA. Dog Brothers Inc.
  2. Galang, R. (2004). Classic Arnis. NJ. Arjee Enterprises.
  3. Nepangue, N. R. (2007). Cebuano Eskrima: Beyond the Myth. IN. Xlibris Corporation.
  4. Wiley M. V. (1997). Filipino Martial Culture. VT. Tuttle Publishing.

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