ベン・ラーグサ

カウアイ島の写真 マスター
ベン・ラーグサの故郷、ハワイ州カウアイ島。

今回は、フローロ・ビリャブリェの一番弟子で、アメリカではじめてカリを公開したベン・ラーグサを通して、ビリャブリェ・ラーグサ・カリの思想や理論、技術などを見てみます。

イノサントの語る「カリ」は、実際にはハワイに住むビリャブリェよりも、本土に住むラーグサを通して知ったものが多いことから、ラーグサを知ることが「カリ」を知ることになるからです。

ベン・ラーグサ

ベン・ラグーサは、1926年にハワイ州カウアイ島のキラウエアでフィリピン系2世として生まれました。移民労働者の父からアーニスの基礎を教わったあとは、アウグスティンという名の武術家からアーニスを教わり、1945年に陸軍に入隊しています。

陸軍在籍時には柔道やボクシングなどさまざまな格闘技を学び、1951年、25歳のときにカウアイ島に戻りました。25歳からの7年間、フローロ・ビリャブリェから1対1で「カリ」を教わったあと、1958年に米国本土に移住しました。

ラーグサがビリャブリェから教わった「カリ」は、技術がまったく体系化されておらず、指導はスパーリングが中心だったそうです。これでは他の人に指導できないと思ったラーグサは、ビリャブリェから教わった技術を分解して組み立て直し、ビリャブリェの技術をシステム化しました。これがビリャブリェ・ラーグサ・カリ・システムです。

また、ラーグサがビリャブリェと練習した当時のアメリカでは、アーニスはフィリピン人コミュニティーのなかだけで練習されており、その技は「先生から生徒へ」と「父から子へ」だけしか伝えられませんでした。ラーグサもビリャブリェから初めて「カリ」を教わったときに、自分の子供以外に習った技を教えないよう約束させられたそうです。

しかし、ラーグサはこの伝統にこだわりませんでした。1964年、エド・パーカー主催の国際空手選手権で初めて「カリ」を公開の場で演武し、フィリピン武術の存在を世間に知らしめました。ラーグサの技術を高く評価したパーカーは、彼を「グリーンホーネット」のカトー役に推薦しましたが、ラーグサが断ったため、その役がブルース・リーに回ったとラーグサは語っています。

1969年には、ビリャブリェの支援を受け、サンフランシスコにビリャブリェ・ラーグサ・カリの道場を開き、自分の息子を含む厳選した生徒だけを受け入れ、画期的なカリキュラムの下で弟子たちを指導しました。

1972年には、ビリャブリェからトゥホン(マスター)のランクを授与されましたが、そのときに血の儀式を行いました。それは、ビリャブリェとラーグサがお互いの血を採取し、その血でお互いの名前を紙に書き、その紙を燃やして灰にし、その灰をワインに入れて飲むというものでした。

お互いの血を混ぜる儀式は、スペイン人到来前からフィリピンにあるものですが、これによりビリャブリェの血が、世代から世代に受け継がれるとラーグサは語っています。

ダン・イノサントが、”The Filipino Martial Arts” の取材のため、ラーグサの道場を訪れたのはこのころのことです。

マザーアート・カリ

ダン・イノサントは “The Filipino Martial Arts” のなかで、ベン・ラーグサに4ページを割いて紹介しています。(ビリャブリェには実質1ページだけ)サンフランシスコの道場を訪れたイノサントにラーグサは、以下のように語っています。

  • 自分はエスクリマのマスターではない。カリの人間(Kali Man)だ。
  • カリはあらゆるフィリピン武術の源流だ。
  • アーニス、シカラン、シラット、クンタオ、カリラドゥマン、カリロンガンン、パグカリカリなどはすべてカリの一部分にすぎない。
  • カリは、フィリピン古来のアートでありマザーアートだ。

これらの話はビリャブリェがラーグサに教えたものでしょうが、カリやフィリピンの歴史について熱心に語るラーグサの教養の高さに、イノサントは関心しています。

ラーグサの主張に検証を加えると、シカランはリサール州バラスに伝わる、相手に足を当てれば勝ちというゲームで、シプリアーノ・ヘロニモが空手を取り入れることで武術となったのは太平洋戦争後のことです。

また、シラットはインドネシアに起源を持つ武術で、クンタオは漢字で「拳道」と書く、インドネシアの華人が伝えた中国起源の武術です。どれもイスラム文化圏のフィリピン南部に伝わっていますが、フィリピン古来の武術ではありません。

またカリラドゥマン、カリロンガンン、パグカリカリにいたっては、フィリピン武術研究家のマーク・ワイリーが “Filipino Martial Culture” で指摘しているように、カリの存在を信じるプラシド・ヤンバオが、地方語の辞書のなかからカリに類する言葉を集めただけのものであり、どれも実在しない武術です。(このことから、ビリャブリェやラーグサの「カリ」が、ヤンバオの「カリ」をベースにしていることがわかります。)

フィリピン人の武術家ならば、このような荒唐無稽な話は誰も信じないのでしょうが、ハワイで生まれ育ったフィリピン系2世のラーグサや、米国本土で育ったフィリピン系3世のイノサントには、ビリャブリェの作り話の真偽を判断する知識がなかったのでしょう。

ただし、3世のイノサントよりも2世のラーグサの方が、フィリピンについての知識が多少あったようで、ラーグサの「教養の高さ」に感心したイノサントが “The Filipino Martial Arts” のなかで、ラーグサの語る「カリ」を紹介したことで、アーニスの起源に関する神話が世界中に広がっていきました。

カリのシステム

上の動画は、ヌムラダを演武するベン・ラーグサです。 “The Filipino Martial Arts” には、ラーグサが道場で「カリ」を指導する様子も記されており、イノサントはラーグサの技術の高さをほめています。

また、相手の打撃の力が衰えるところに体を移動させる、ゼロ・プレッシャー理論や、ブロックと同時に相手の手を打つ、ハンド・ターゲット理論など、ラーグサが、ビリャブリェの高度な技術を分解して論理化している様子も書かれています。

さらには、今では現地フィリピンの武術家ですら関心を持たない、オラションなどの精神的な儀式や訓練も重視しており、それら含む全教程を3年で習得させるようにカリキュラムが組まれていることなど、ビリャブリェ・ラーグサ・システムがとてもよく考えられたシステムであることが紹介されています。

ビリャブリェ・ラーグサ・カリのウェブサイトの “Ben Largusa” のページによると、ビリャブリェの指導は、その根底にしっかりした技術や理論があったものの、スパーリングが中心だったそうです。これは、ビリャブリェと一緒に練習した、彼のおじのアントニオ・イラストリシモも同じでした。

昔のエスクリマドール(アーニスの使い手)の指導は、「こう打ってこい。」「そうきたら、こう返す。」というのをランダムに繰り返すだけで、「この技は、このフットワークと、このブロックとこのストライクを組み合わせたものだ。」「この種類の攻撃はすべてこの方法で対応できる。」といったシステム化された指導法は取っていませんでした。(というより、そのような指導法がありませんでした。)

イラストリシモの場合は、弟子のクリストファー・リケットやトニー・ディエゴが、イラストリシモの技術をビデオに収めて、それを数人の弟子たちで分析して技術を体系化しましたが、ビリャブリェの場合は、ラーグサがひとりでこれを行いました。

ビラブリェから習った「カリ」の技術だけでなく、昔のエスクリマドールが重視した精神的トレーニングまでも体系化し、段階的に習得するためのカリキュラムを組むなど、ラーグサが、ビリャブリェの忠実な弟子であり、かなりの理論家だったことがわかります。

また、イノサントは、ラグーサの理論や技術だけでなく、道場経営の手腕もほめています。指導レベルを落とすことなく、道場の運営を組織化し、経営的に成功していることから、ラーグサが武術家としてだけではなく、経営者としても優秀な人物であったことがわかります。

矛盾する中身

ただし、イノサントの本からは、ラーグサが指導するカリの技術用語が、ヌムラダ、リテラダ、スンブラダ、フライル、アビセダリヨ、デ・カデナなど、そのほとんどがスペイン語由来だったこともわかります。

ラーグサがいうようにカリがフィリピン古来の武術ならば、どうしてカリの用語がスペイン語ばかりなのか、ラーグサは不思議に思わなかったのでしょうか?

ビリャブリェ・ラーグサ・カリのウェブサイトの “Ben Largusa” のページには、質疑応答があり、そこで「スペインの文化は実際にフィリピン武術にどれだけの影響を与えたのでしょうか?」という質問に対し「文化的にはスペイン人が大きな影響を与えました。武術、特にカリに関してはそれほどではありません。」と答えがのっています。

しかし、次の質問の「エスパダ・イ・ダガはビラブリェ・ラーグサ・システムの基礎ですか?」に対し「これは間違いなく技術の非常に重要な側面であり、私たちのシステムはこの段階を非常に重視しています。」と答えています。

エスパダ・イ・ダガは、スペイン剣術に由来する技術であり、もちろん、フィリピン古来の技術ではありません。ラーグサは、この答えが直前の質問の答えと矛盾することに、気づかなかったのでしょうか。

イノサントは、ラーグサは本をよく読んでいると「教養の高さ」に感心していましたが、そんなラーグサは、ビリャブリェが語る「カリ」に疑問を持たなかったのでしょうか。2010年にラーグサは他界しているため、今となってはわかりません。

参考資料

  1. Ben Largusa Villabrille-Largusa Kali. USAdojo. July. 7. 2018. URL: https://www.usadojo.com/ben-largusa/
  2. Ben Largusa – A Simple Man of Kali. Villabrille – Largusa Kali System. Augsto. 18. 2023. URL: https://villabrillelargusakali.com/ben-largusa-a-simple-man-of-kali/ben-largusa-a-simple-man-of-kali
  3. Inosanto, D. & Johnson, G. (1980). The Filipino Martial Arts. CA: Know Now Publications.
  4. Wiley M. V. (1997). Filipino Martial Culture. MA. Tuttle Publishing.

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