アティリョ・バリンタワク(2)

バリンタワク主流派の写真 アーニスのスタイル

1975年のアンション・バコンとのバハドに勝利したことで、イシン・アティリョは、自分こそがサアベドラのアーニスの継承者であり、ドーリン系統のバリンタワクこそが最強であることを証明しました。

今回はそのイシンが、バコン系統のバリンタワクをどのように評価しているのかを、マウレリとイルベイグのインタビューから探ってみます。また、その評価に対するバリンタワクの主流派から反論も見てみます。

バコンの弟子たちへの批判

クラウディオ・マウレリのインタビューでイシンは、バハドの後のアンションについて、「それから2週間もしないうちにバコンは『オリジナル・バリンタワク』を創設した。」、「そのため、オリジナル・バリンタワクを学んだと主張する者がいるが、そいつらは頭がおかしい。」、「私に負けた後、オリジナルを創始したのだ。」、「本物のオリジナルは、ドセ・パレスからバリンタワクに変わったときのものだ。」と語っています。

バコンは出所後に弟子たちを集め、刑務所で改良したアーニスを披露しましたが、ほとんどの弟子たちはそれを受け入れませんでした。それはバコンの服役中に、グループが複数に分裂し、それぞれのグループが、従来の技術をもとに独自のインストラクターを育て、組織を確立したからでした。

バコンの改良を受け入れたのは、テディ・ブオト、サム・ブオト、アルトゥロ・サンチェス、セルジオ・アーセルなどのわずかな弟子であり、バコンはそれらの弟子とともに1975年に、自身の理想のアーニスを探求するグループ、「バリンタワク・オリジナル」を設立しました。

アルトゥロ・サンチェスやセルジオ・アーセルは、バコンの死後もバリンタワク・オリジナルの技術をセブで伝え続けましたし、テディ・ブオトとサム・ブオトは後にアメリカに渡り、テディはミシガン州サウスフィールドで、サムはアリゾナ州フェニックスでバコンの晩年の技術を指導しました。

(動画)セルジオ・アーセルの練習の様子

イシンは、バリンタワクの結成当時の技術を学んでいる自分の世代(イシンは第1世代と呼んでいる)こそが「オリジナル」であり、それはもはや自分だけであることから、バコンが晩年に創設したバリンタワク・オリジナルの弟子たちが「オリジナル」を名乗ることを、「頭がおかしい」と痛烈に批判しているのです。

テディ・ブオトとサム・ブオトについては名前を挙げ、「彼らは1度も戦ったことがない。口だけの奴だ。」「(アメリカでは有名だが)フィリピンでは誰も知らない。」と批判しています。

また、イシンはシェルビン・イルベイグが行ったインタビューで、ボビー・タボアダも「オリジナル」を名乗っているといい、バリンタワク結成時の写真を指して「ビリャシンはどこにいるのか?」とタボアダを非難しています。タボアダは、ホセ・ビリャシンとティオフィロ・ベレスの弟子であり、ビリャシンとベレスはイシンの分類では第三世代に当たるからです。

しかし、タボアダが「オリジナル」を名乗っているという話は聞いたことがありません。本人自身も後に紹介するインタビューで「オリジナル」などという言葉は聞いたことがないと語ってことから、イシンの勘違いではないでしょうか。それともタボアダの弟子が「オリジナル」を名乗っているのでしょうか。

そして、イシンの批判は「オリジナル」の呼称にとどまらず、グルーピング・システムを開発した、バリンタワクの主流派であるビリャシン・ベレス派にも向かいます。

インタビューでイシンは、バリンタワク結成時のメンバーを第1世代、アーヌルフ・モンカルを第2世代、ホセ・ビリャシンやティオフィロ・ベレスを第3世代と定義し、第4世代に当たる、ビリャシン・ベレスの弟子たちを、「彼らはなんのカリキュラムもない。」、「彼らはバリンタワクのスタイルを変えた。」と批判しています。

そして「アンションは、サアベドラから学んだ本物のバリンタワクを教えていない。」「アンションは強欲な男だった。」「彼ら(アンションの弟子たち)はなんの進歩もない。何年学ぼうが進歩しない。」、「なぜならアンションは真実を教えていないからだ。」とその原因がバコンにあるとしています。

グルーピングを開発したバリンタワク・インターナショナルの後継団体、WOTBAGのインストラクターを務めた、ロメオ・デラ・ローザについても、「マスターでもグランドマスターでもない。」、「海外に行けば有名だが、フィリピンでは誰も知らない。」、「口だけで何もない奴だ。」と容赦なく批判しています。

そして「私のスタイルはドーリンのスタイルだ。」、「だから誰から挑戦されても恐れない。」、「なぜ私がバコンを倒せたかわかるか。」、「私は現在世界でただひとりの、サアベドラのオリジナル・スタイルの伝承者だ。」とサアベドラのスタイルこそ真のバリンタワクであり、バコンの弟子たちの技術はすべて偽物だと主張しています。

他流派に対する批判

さらにイシンの批判はやまず、バリンタワクを学んだ他流派のマスターたちもやり玉に挙げて批判していきます。

ホセ・ビリャシンとティオフィロ・ベレスからバリンタワクを学び、後にラプンティ・アーニスに中国武術の技術を取り入れてグランドマスターとなった、ジョニー・チューテンについて、「あいつは中国武術家だ。エスクリマのマスターではない。」と批判しています。

また、アーヌルフ・モンカルとティモール・マランガからバリンタワクを学び、後にモダン・アーニスを創始したレミー・プレサスについても、「1975年、ベル将軍が総裁を務めるNARAPHILと提携するためにマニラに行ったとき彼に会った。」、「彼は、『私が誰かわかるか。私はモダン・アーニス10段だ。』、『バコンとモンカルは私の先生だ。』といった。」、「『私はもうバコンを倒した。』というと、『何だって。』と驚いた。」と語り、さらに「モンカルはレミー・プレサスを教えていない。彼(モンカル)は私の弟子であり、私の父の弟子だ。」といっています。

さらに「モダン・アーニスと名称はいいが、彼のスタイルは古い。」と語り、モダン・アーニスのタピタピ(バコンが研究し発展させた、相手の手をコントロールする技術)についても、「彼らは何も分かっていない。口だけだ。」と切り捨てています。

だだし、「プレサスがモンカルの弟子でない。」というのは事実ではありません。プレサスはティモール・マランガとアーヌルフ・モンカルの弟子であり、マランガのパシルの道場で両者からバリンタワクを学んでいます。

私は2011年にティモールの息子のロドリゴ・マランガにインタビューしていますが、ロドリゴによると、プレサスは当初バコンの下でバリンタワクを学んでいましたが、バコンは左利きのプレサスを教えるのを嫌がり、ティモールに指導を頼んだそうです。パシルの道場でプレサスが指導を受けるときにはロドリゴもおり、プレサスのセブアノ語はイロンゴ語なまりが強くてわかりにくかったと、当時の思い出を語ってくれました。

ボビー・タボアダの反論

(動画)ボビー・タボアダの反論

1950年代から70年代時代にかけてのアーニスの状況を知る当事者や関係者がほとんど亡くなってしまった現在、イシンの主張に反論できるものはいないと思われましたが、インタビューのなかで名指しで批判された、ボビー・タボアダが、2021年9月18日にYoutubeでイシンの主張に反論しました。

タボアダは、バリンタワクの主流派でグルーピング・システムを開発した、ホセ・ビリャシンとティオフィロ・ベレスの弟子で、イシンのいうところの、スタイルを変えた第4世代に当たります。1991年に渡米し、現在はノース・カロライナ州シャーロットを拠点に各地でバリンタワク・エスクリマを指導しています。

イシンはインタビューでタボアダについて、「マーク・ワイリーの本で『デスマッチを30回戦った。』とあるが、1度も見たことがない。」、「タボアダは2004年に私に挑戦してきた。」、「ベレスの弟子のネネ・ガブカヤンも挑戦してきた。」、「当日行って彼らを待ったが来なかった。」、「フィリピンに行ってみると、『アティリョはドアを閉じて戦わなかった。』といわれていた。」、「彼らはうそつきだ。」とか、「タボアダは、『アティリョはバリンタワクの名前を利用して金儲けしている。』といっているが、あいつはうそつきだ。」などと名指しで繰り返し批判しています。

反論の動画でタボアダは、「私が先生たちから学んだバリンタワクは、私が現在教えているのとまったく同じシステムだ。」、「彼ら(イシン)はオリジナル・メソッドを指導する第1世代だと主張しているが、私が練習し始めたころ、だれも『オリジナル』とか『第1世代』などという言葉は使っていなかった。」、「ただ『バリンタワク』と呼んでいただけだった。」と、「オリジナル」という言葉はイシン以外は誰も使っていないことを指摘してます。

そして「GM.ビリャシやGM.ベレス、GM.ティノン・イバネス、グレート・グランドマスター、アンション・バコンからも同じ方法で学んだ。」「違いがあるとすれば、手と記憶する頭が違くなっただけだ。システムは変えていない。多くのことを記憶しただけだ。」「タイプライターがコンピューターになっただけだ。」と、システムが変わったのではなく、経験と知識が蓄積しだことで技術が熟練したこを説明しています。

さらに「第1世代のオリジナルが何かはわからない。」、「我々はみな誰かの弟子なのだから、彼らが私を第3,第4世代というのなら、それで結構だ。」、「私は喜んで私の指導の様子を披露する。」、「彼らも第1世代のオリジナル・スタイルを披露すればいい。」、「他の人たちがそれを見て、好きになり学びたいかを決めるのだから。」と、「オリジナル」という肩書よりも実物を見て判断すべきことを語っています。

「私はグランドマスターたちから学んだことに誇りを持っている。それを世界に広めようとしており、実際に行っている。」、「彼らにはまだ生きていてほしかった。」、「アートを普及させようとしているある男が、我々を分断しようとしており、私に大変なプレッシャーをあたえている。」、「彼らにはまだ生きて、我々がアートを普及させるのを見守ってほしかった。」と、イシンがバリンタワクのコミュニティーを混乱させていることに苦言を呈しています。

最後にオリジナルである第1世代のイシンの指導の様子と、第4世代の自分の指導の様子を比較させ、視聴者に対し、「どちらのシステムがタイプライターで、どちらのシステムがコンピューターか決めてくれ。」と視聴者に質問を投げかけて反論を終えています。

イシンの発言はどう受け取るべきか

タボアダの反論に対するイシンの反論は聞こえてきませんが、イシンの言動がバリンタワクのコミュニティーを分断させているのは間違いないようです。

イシンのインタビューには、言葉の端々からも、父親同然のロペスの殺害に関わった(と信じる)バコンへのうらみが伝わってきます。その反動が、ドーリンこそがロレンソのアーニスの真の継承者であり、バコンやその弟子は偽物だという信仰になったのかもしれません。

(動画)パウロ・ルビオの見解

フィリピン武術研究家のパウロ・ルビオはYoutubeで、イシンのインタビューについて、「レジェンドが自分の言葉で話すのはとても魅力的だ。」と語り、イシンの発言に苦笑しつつも、「発言内容についてはコメントしないが、この男の話は本当に面白い。」、と称賛しています。

また、視聴者には、「発言に納得できなくても、熱くなるな。」「決して巻き込まれるな。」「別の情報元からの情報があるかもしれないが、それはそれでいい。」「離れた位置から見るととても面白い。」と話し、最後にはイシンにインタビューしたマウレリから感謝のメッセージを送られています。

戦中、戦後のドセ・パレスや、結成当初のバリンタワクの歴史を知るイシンは、セブのアーニスの生きる歴史であり、研究家にとっては、彼の言葉には貴重な情報があふれています。しかし、自分やマンバリン派を宣伝するために、事実に反することや疑わしいことを語っている部分も多く、彼の発言内容については十分精査する必要があります。

アーニスの歴史を研究する者にとっては判断に困る彼の発言ですが、フィリピン武術の練習者にとっては、ルビオの語るように、エンターテイメントとして観ればとても面白いショーだといえます。

参考資料

  1. ●Living History: GGM Crispulo Ising Atillo Interviewed by Legacy World Claudio Maurelli. URL: https://www.youtube.com/watch?v=TgmtGZtkbtA. (December 3, 2023).
  2. History of Balintawak Eskrima by GGM Crispulo Atillo. URL: https://www.youtube.com/watch?v=iuc3cKcbQNo. (December 18, 2023).
  3. GM Bobby’s response 1. URL: https://www.youtube.com/watch?v=1VwWkl_yzCI. (December 3, 2023).
  4. GGM Atillo on: GM Bobby, Nick Elizar, Remy Presas, Johnny Chiuten and Back Stabbing!. URL: https://www.youtube.com/watch?v=4pBisDXm0Gc&t=39s. (December 18, 2023).

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